約8割が倒壊した地域
益城町、一躍有名になったこの町は人口約3万人。熊本市に隣接する北益城群に属する町で東無田地区のある島田は旧飯野村でした。町の中心部からやや南に下ったら平地に田畑が広がる普段は穏やかで静かな町。(それはボランティアの人員が少なかった月曜日に感じました。)現地で聞いた話によると東無田地区約120戸の約100戸が倒壊したまさに被災地でした。東無田の公民館前のいわゆるお宮さんの場所がボランティアの活導拠点になっており、トイレや炊き出しする場所などがありました。トイレは簡易のトイレですが少し外れると上下水道は復旧している点や車で5〜10分走るとコンビニがあることは東日本大震災との違いでした。
当然ながら 全壊していない=住める ではない
先祖代々から引き継いだであろう木材建築の立派な家々が無残に倒壊、半壊しているのはやはり甚大な被害といえると思います。また見た目住めそうな家でも危険などの張り紙がしてあり、住めないんだと思うと見た目以上に被害は深刻だなと思いました。頭ではわかっていても、外見少し傾いただけの家を見て直感的に住めないとは変換していなかった自分に気づきました。
家の体裁が残っていても、崩れそうな家には住めないです。建て替えるにしても一端は撤去する必要があり、それはそれで費用もかかります。余震で二次災害が起こる可能性もあります。こういった中西部ガスさんの復旧は今回かなり早かったようです(16日本震の20日再開)。
ボランティアの人員は東日本大震災より少ないように見受けられました。当初ボランティアをうまく受け入れきれていないという報道もあり、よりそれは助長されたのでしょう。よって、同地区では避難所にいる方や庭にテントを張っている方などがおられ、これらの方々が日常に戻るには時間がかかりそうな気配もありました。少しだけお話しできた現地の方からは「いつ終わるのか、戻るのかという不安はある」と伺いました。
そこで私たちは5/28 29の両日、瓦礫の撤去作業と半壊したコンクリート塀を崩してフレキスブルコンテナ(フレコン)に入れる作業をしました。その日は雨だったので、暑さ対策よりむしろ寒さ対策が必要なくらいでした。
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