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2016年6月26日日曜日

5/30_益城町へ行きました〜テントの片付けと掃除〜

片付けや掃除も重要なボランティア業務

本当は朝の時点で干してから出発したかったのですが、朝はまだ雨でした。でも作業中に晴れてきて、なんとかじかのスタッフさんが頑張って干しておいてくださいました。運動場は相変わらず湿っていましたが、なんとか片付けることができる状態になっていました。一度に解体するのはいいですが、テントは別のテントのパーツと混じらないように片付けましょう。











宿泊スペースの掃除や使った道具の掃除などいろいろありましたが、やはり後回しにされがちなのはトイレ掃除。でも喜ばれるのもトイレ掃除。諸々土日に散らかった物を月曜日に片付けてから我々は現地を後にできました。

ボランティアの方でたまに見かけるのはせっかく来たから被災地域を見たい、現地の方と話したいと主張する方。気持ちはわかりますし、現地のボランティアセンターの方も心得ているためそのように人員配置しますが、こういった片付け、掃除、実はとても現地で喜ばれます。行った時よりも綺麗にして帰る。こういったこともボランティアには重要ですね。

今回は2泊3日でしたので、これでおしまいです。これから行こうかどうしようかと思っている方に少しでも参考になればと思います。そして1日でも早い復興をお祈りしております。

2016年6月25日土曜日

5/30_益城町へ行きました〜ガラスの撤去〜

 ガラスの撤去は革手袋で

最終日は晴天でした。倒壊している家屋や半壊、見た目上問題なさそうなのに入れない家屋などいろいろ見えました。













月曜日は午前中にガラスの撤去。午後は土日に張ったテントの片付けとベースキャンプの掃除でした。土日に大挙してボランティアの方が来られます。それを受け入れて片付けるのも一苦労。こういったサポート活動も重要です。



ゴムの手袋を使っていましたが、横の動きで少し指を切ってしまったメンバーがいました。革の手袋が最もよくて、それが難しければ軍手を2枚ほど重ねる。暑いですが怪我をしてしまっては返ってご迷惑をおかけしてしまいます。ちょうどその日は消防隊員の方が関東からまさにプロボノとして来られていました。我々素人ボランティアではできない屋根の上に登るような危険度の高い作業をされておられました。

こういった方々は数も少なく、引く手数多。ですので、せっかく来ていただいた際に何をしてもらうかという作業手順などの整理も重要だなと思いました。来ても現場で何をしていいかわからず時間が経つということは珍しくありません。つまりボランティアやプロボノの方の作業ニーズのヒアリングやロジスティックスも重要になります。

雨天の時と違い、晴天で長袖を着ての作業となるため、水分補給は重要です。これらにも気をつける必要があります。あと、救急箱は必ず持って行きましょう。








2016年6月23日木曜日

5/29_益城町へ行きました〜ベースキャンプの設備〜

シャワーと乾燥機と洗濯機あります

かじかには乾燥機と洗濯機があります。あとシャワーも借りることができます。近くに佐俣の湯があったので、時間があるときにはそちらに行くこともできます。

5.29(日)の夕食は人数がかなり減って、宿泊施設側にもスペースに余裕が出来たため、食堂にていただきました。かなりヘルシーな懐かしい味のご飯でした。この時期は蛍が観れるとのことでしたので、入り口の橋で鑑賞させていただきました。ありがとうございます。

2016年6月21日火曜日

5/29_益城町へ行きました〜元気の森かじか(美里町)〜

5/28~30まで向かっていました益城町。宿泊は元気の森かじかでした。小学校の廃校施設を使った宿泊施設です。ここのおそらく旧幼稚園であったろう建物にRQ九州のベースキャンプがありました。

5/28(土)は大挙して16名ほどが訪れ、我々以外のボランティアスタッフもいたため、テントを張って泊まることになりました。 当日は雨。また運動場の水はけも悪いため、レンガを敷いてその上に木の板を敷いてのテント設営でした。
夕飯はご用意をお願いし、自ら配膳しました。外部の方々はそこにある食糧や持参した食糧などを調理して夕食を食べてらっしゃいました。被災地から少し離れれば、電気、ガス、水道に問題がないためベースキャンプの設備は東日本大震災の時と比べて問題が少なく、何より電気と水は豊富でした。それが一番違うことかもしれません。

2016年6月19日日曜日

5/29_益城町へ行きました〜重機オペレーターが足りません〜

 重機とマニュアル車の操作できる人が足らない 

右の写真は作業現場の駐車スペースです。土日は満車だったのですが、月曜日は我々の車のみでした。

現地では倒壊した家屋やその壁の瓦礫を撤去していました。運ばれてくるフレコンにどんどん瓦礫を入れました。使っていた道具は主に以下の6つ。

  • スコップ
  • 巨大ちりとり(正式名称ではないです。)
  • ハンマー(ブロックを小分けにします)
  • ネコ車(瓦礫を集めてトラックやフレコンに移します)
  • 竹ぼうき(最終的に路地をきれいにします)
  • 巨大なペンチ(ブロックの中の鉄筋を切断します)
そして、マニュアル車のトラックや重機でした。圧倒的に重機を操作できる人が足らないとのことでした。その点マニュアル車の運転もおぼつかない自分はただただ無力でした。瓦礫を運んでいる場所がいっぱいになればボランティアがいても作業ができないという事態も起こりうるとのことでした。

また5年前のRQさんのノウハウが活かされていると思ったのはビブス。5年前はビブスをつけた記憶がありません。宣伝の要素も0ではないでしょうが、ともかくボランティアの方含め見知らぬ方々が大挙する被災地。入れ替わるボランティア。でも同じ集団で目的がはっきりしていると現地の方も安心されるとのことで、ビブスをつけているとご挨拶していただけます。これは大きいと思いました。

一方、こういった瓦礫の撤去が毎日行われているのかというと、やはり土日しか人足が集まらず、平日は土日にどういう場所でどういう作業をするべきかのヒアリングや受け入れ体制の整理などが重点的に行われているようです。さて、次回はかじかの里での様子を書きます。(写真は5/29の作業あと)


2016年6月18日土曜日

5/29_益城町へ行きました〜全壊していない=住める ではない〜

約8割が倒壊した地域

益城町、一躍有名になったこの町は人口約3万人。熊本市に隣接する北益城群に属する町で東無田地区のある島田は旧飯野村でした。町の中心部からやや南に下ったら平地に田畑が広がる普段は穏やかで静かな町。(それはボランティアの人員が少なかった月曜日に感じました。)

現地で聞いた話によると東無田地区約120戸の約100戸が倒壊したまさに被災地でした。東無田の公民館前のいわゆるお宮さんの場所がボランティアの活導拠点になっており、トイレや炊き出しする場所などがありました。トイレは簡易のトイレですが少し外れると上下水道は復旧している点や車で5〜10分走るとコンビニがあることは東日本大震災との違いでした。

当然ながら 全壊していない=住める ではない

先祖代々から引き継いだであろう木材建築の立派な家々が無残に倒壊、半壊しているのはやはり甚大な被害といえると思います。また見た目住めそうな家でも危険などの張り紙がしてあり、住めないんだと思うと見た目以上に被害は深刻だなと思いました。

頭ではわかっていても、外見少し傾いただけの家を見て直感的に住めないとは変換していなかった自分に気づきました。

家の体裁が残っていても、崩れそうな家には住めないです。建て替えるにしても一端は撤去する必要があり、それはそれで費用もかかります。余震で二次災害が起こる可能性もあります。こういった中西部ガスさんの復旧は今回かなり早かったようです(16日本震の20日再開)。

ボランティアの人員は東日本大震災より少ないように見受けられました。当初ボランティアをうまく受け入れきれていないという報道もあり、よりそれは助長されたのでしょう。よって、同地区では避難所にいる方や庭にテントを張っている方などがおられ、これらの方々が日常に戻るには時間がかかりそうな気配もありました。少しだけお話しできた現地の方からは「いつ終わるのか、戻るのかという不安はある」と伺いました。


そこで私たちは5/28 29の両日、瓦礫の撤去作業と半壊したコンクリート塀を崩してフレキスブルコンテナ(フレコン)に入れる作業をしました。その日は雨だったので、暑さ対策よりむしろ寒さ対策が必要なくらいでした。